「プライドの高さ」は「メンタルの弱さ」に比例する

他人の評価にムッとしたり、過剰に負けず嫌いだったり…

 

自分の非を認め、謝ることができなかったり…

 

プライドが高い人は一見、精神的に強く見えがちですが、実は非常に、“メンタルが弱い状態”にあるのです。

 

実は私も、プライドが高い人間でした。

 

自分こそが正しいと信じており、謝ることも苦手で、自分に対する他者の指摘や評価に、カッとなることも…

 

当時はそんな自分が「強い」と、本気で思っていました。

 

しかし“強い自分”とは無縁だと思っていた、“うつ病”を患ったことで、気づいたことがあります。

 

それは、「プライドの高さは、メンタルの弱さに比例する」ということ。

 

言い換えると、「プライドさえ捨てられれば、最強だ」ということです。

 

プライドの正体とは、“弱い自分”を守るため、高く高く築き上げた、“心の要塞”でした。

 

当時の私は“謝らなかった”のではなく、“謝れなかった”のです。

 

相手の意見を受け入れ、自分の間違いを認めることが、“怖かった”のです。

 

負けを認めることが、“怖かった”のです。

 

自分に対する指摘や評価に傷つくことが、“怖かった”のです。

 

つまり、自分の弱さを相手に悟られぬよう、プライドの盾で隠して、必死にごまかしていたわけです。

 

果たしてこの状態を、「メンタルが強い」と言えるでしょうか?

 

そもそも人は、“弱い生き物”なのです。

 

あなたも。私も。悩みなんかなさそうな、あの人だって。悩んで、苦しんで、人知れず涙を流すことも、あるのです。

 

みんな“弱さ”を抱えながら、必死で生きているのです。

 

一方で、そんな自分の“弱さを知っている人”は、この上なく“強くもある”のです。

 

「真の強さ」とは、自分の心の“弱い部分”を認め、目をそらさずに、「さらけ出す勇気を持つこと」なのです。

 

例えば外から突然、爆発音のような音が聞こえてきたとしましょう。

 

人は弱いですから、誰しもが、恐怖を感じるはずです。

 

恐怖から必死で目をそらし、ヘッドフォンで耳を塞ぎ平静を装ってしまえば、

 

正体不明の音が消えるまで、あるいは音が消えたあとになっても、正体不明の恐怖に怯え続けることになります。

 

一方で、恐怖を感じる自分を受け入れ、ほんの少しだけ勇気を出して、窓の外を確認していたら…

 

そこには美しい、打ち上げ花火があがっていたかもしれないのです。

 

恐怖は、正体さえ確認すれば、みるみるうちに消え去っていくもの。

 

“弱い自分”を認め、“素直にさらけ出して”みてください。大丈夫。

 

あんなに怖かったはずの他人の評価も、「ごめんね」の一言も、勇気を出して素直に向き合えば、案外、どうってことなかったりするんです。

 

それだけでなく、美しい打ち上げ花火のように、素晴らしい景色にだって、出会えるかもしれません。

 

プライドで固めた“心の要塞”は、いずれヒビ割れ、崩れ落ちてしまいます。

 

殻を破り捨てて、楽になりませんか?

 

人はみな、弱いのです。

 

負けたっていい。

 

かっこ悪くたっていい。

 

泣いたって、いいんです。

 

世界にたった一人の“あなた”の価値は、何も変わらないのですから。