小さなことが気にかかり、イライラしてしまう…
神経質な自分に、疲れてしまう…
日常においてストレスを感じやすいのは、非常に“損”です。
真面目で正義感が強い方ほど、ストレスを感じやすい傾向にあるのではないでしょうか。
実は、私もそうでした。
ときに発狂しそうになるほど、常にストレスに悩まされていたのです。
それが今では、ストレスとは無縁の思考を身に着けたことで、生きることが非常に楽になりました。
その思考とは、
“グレーゾーンを認める”こと。
過去の私は“何が正しくて、何が間違っているか”に強くこだわり、
物事の本質を、「白」と「黒」の二択でとらえていたのです。
過去の私は、「絶対に間違っている」とか「絶対に〇〇だ」というように、“絶対”という言葉を、頻繁に使っていました。
「自分は“絶対”にメンタルの病気にはならない」とも思っていました。
しかしその後、重度のうつを経験することになります。
この衝撃が火種となり、私の中の“絶対”は、みるみるうちに、崩れ去っていきました。
そして、気づいたのです。
あんなにこだわっていた「白」でも「黒」でもない、「グレーゾーンにこそ、答えがあった」ということに。
何十年もの間、世間の常識とされてきた事実だって、新たな知見により覆されることは、めずらしくありません。
絶対ならないと思っていた病にかかり、壮絶な経験をすることも、ある得る話なのです。
そもそも“絶対”なんて、この世に“存在しなかった”のです。
「白 or 黒」で導き出した答えとは、“その時点でしか通用しない”、“いつ覆されるか分からない”性質のものであり、
突き詰めればすべての事象は、「〇〇かもしれないし、〇〇じゃないかもしれない」の一言で、片付いてしまうのです。
つまり、白黒にこだわることは、“無駄”なのです。
「あらゆる情報は、正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。」
「相手の発した言葉の意図は、嫌味かもしれないし、気遣いかもしれないし、冗談かもしれないし、それ以外かもしれない。」
「相手の行動の意図は、嫌がらせかもしれないし、親切心かもしれないし、無意識かもしれないし、それ以外かもしれない。」
いずれにせよ、あなたにできる判断は、「〜かもしれない」というところまで。
いくら考えたところで、“グレーでしかない”のです。
気にするだけ、“無駄”なのです。
そう考えると世の中は案外、「どーでもいい」ことで、溢れているのです。