将来の夢はなくていい

夢がなくて悩んでいる方は、少なくないのではないでしょうか。

過去の私もそうでした。特にやりたいこともないし、好きなこともよく分からず、趣味もない。明確な夢がないことに、ある種コンプレックスのような感情を抱いていました。

好きなことを追いかけ、夢を叶えている人が眩しく見えて、夢のない自分はまるでダメ人間のような気さえしていました。

だから、自分も夢や目標が欲しくて、職に関する情報収集や自己分析をしてみたり、資格を取ってみたり、必死でもがいてみましたが、思うような結果はでませんでした。

具体例をひとつ挙げると、私は字幕翻訳家を目指していました。
映画やドラマの翻訳なら楽しそうだし、言語能力にも自信があったため、適性もあるだろうと考え、飛び込んだのです。

しかし実際に始めてみると、翻訳だけしていればいいという世界ではなく、セリフごとに映像を切る“コマ割り”という作業の連続に嫌気がさし、「イメージと違った」という感想を得て、その世界から離れてしまったのです。

“自分は何をするべきか”を熟考した上で選んだはずの道なのに、なぜこのような結果になってしまうのでしょうか。

それは、“夢”つまり“やりたいこと”とは、頭の中でいくら考えても、見つかるものではないからです。

自分が本当にやりたいことを教えてくれるのは、“経験値”です。

そもそも日本では卒業文集をはじめとし、子供の頃から将来の夢を尋ねられる機会が多くあります。だから私たちは知らず知らずのうちに、「夢がなきゃダメ」なような気がしています。

“経験値”が乏しい子供たちは、憧れやイメージでしか職業を判断することができません。そもそも知っている職業自体、限られています。
これが、スポーツ選手や政治家、看護師や教師など、分かりやすい肩書きのある職業ばかりが夢として認識されがちな理由です。

でも“夢”というのは本来、“やりたいこと”です。突き詰めれば、「自分が送りたい人生」に沿ったものであるべきです。

あなたが望むのであれば、「漫画を読んでダラダラ暮らすこと」が夢でもいいのです。職業は、その生活を叶えるための手段として「残業がない職場」や「漫画喫茶で働くこと」や「不労所得を得る方法」を考えてみればいい。

そうしていくうちに、“経験値”が蓄積していきます。そこで初めて、自分の適性や願望が見えてくるのです。すると大抵の場合、やりたいことも移り変わっていきます。

つまり、経験値によって導かれ、さらなる経験値によって“移り変わりうる”ものが“夢”なのです。

ですから、夢なんて無理して定める必要はないのです。逆に自分の可能性や選択肢を狭めかねない“夢の罠”に陥らないことの方が、よっぽど大切です。

もっと、肩の力を抜いても大丈夫。

求人を見て「ここなら働きやすそう」と感じる職場があれば、そこで働くことがすでに立派な“今のあなたの夢”です。

なるべく働きたくないから「不労所得を得るためにYouTubeを始めたい」これも立派な“今のあなたの夢”です。効率よくお金を稼ぐことに、罪悪感を感じる必要など微塵もありません。

今の職場は好きじゃないけれど、「貯金して独立するためにあと3年は頑張る」これだって立派な“今のあなたの夢”なのです。

「なんとなく」でもいい。

そこでの経験値が、あなたをまた新たな夢へ導いていきます。無駄になることは、ひとつもありません。

あなたの人生はあなたのものです。他の人が生きてはくれません。だからこそ、他者の評価よりも、自分自身が“今、惹かれること”を大切にしませんか?

嫌になったらやめてもいいし、一度やめたことをまた始めてもいい。

“夢”も“あなた”も変わるのですから。