鬱になって良かったと思う理由&再発不安のない克服方法

パニック障害、不安障害、不眠症、そして重度のうつ病

「もうダメかもしれない…」と感じたことも、たくさんありました。

思考力は著しく低下し、自分が自分じゃないような感覚。見慣れた家族の顔を見たときに、ふと「この人は一体、誰なんだろう?」と感じる恐怖。言葉では説明できない、生きていることへの違和感。

振り返ると、実に凄まじい日々でした。

今はというと、日々、“幸せ”を感じながら生活することができています。再発の不安も感じていません。むしろ「あのとき鬱になって本当に良かった」と、心から感じています。

今現在メンタルの病に悩んでいる方は、なんとか普通の日々を取り戻そうと、必死で情報収集をしているのではないでしょうか。当時の私もそうでした。

しかし、調べれば調べるほどネガティブな情報が目につき、さらに絶望感を強めてしまうこともあるかと思います。

「鬱は一生治らない」とか「元の自分には戻れない」とか…。

症状が重いとき、ネガティブな話ばかり目にすれば、生きることから逃げ出したくなってしまうかもしれない。

私も経験したから、痛いほどよく分かるのです。きっと皆さんも、不安と恐怖に押し潰されそうな日々の中、必死で戦っておられるはずです。

だからこそ私は皆さんに、ポジティブな情報を提供したいと思っています。それは、このブログを立ち上げた理由でもあります。

苦しんでいる人を、単に勇気づけるためのデタラメではありません。以下は私自身の経験に基づく、私自身の正直な考えです。

まず、実際に鬱を経験し、克服した私が今になって思うことは、「鬱は素晴らしい経験であった」ということです。私の人生は、鬱になる前よりも、鬱を経験したあとの方が、圧倒的に豊かで深みのあるものになりました。

「鬱になったら元の自分には戻れない」という言葉が、当時は絶望感を強めるネガティブな言葉に聞こえていましたが、実際には鬱をきっかけに、“過去より強く素晴らしい自分”に出会えました。

鬱を経験した人は、克服後、何事にも感謝を感じられるようになります。

あたたかい日差しを肌で感じて「幸せ」。雨の音が心地よくて「幸せ」。ふとんがあったかくて、「幸せ」。ごはんが食べれて「幸せ」。

普通に生きていること自体が、この上なくありがたく、幸せなのです。

物質的に豊かで便利な時代、本来「有り難いこと」を「当たり前」と錯覚しがちな世の中で暮らしていると、幸せを感じにくくなってしまうどころか、簡単に不幸を感じるようになってしまいます。

一日三食ごはんが食べられる日本人にとって、一日一食は不幸であり、ストレスです。
一方で食糧難の国では、一日一食でも食事ができればありがたく、“幸せ”を感じる人たちがいます。

同じ状況にも関わらず、前者はストレスに悩まされ、後者は幸せを感じます。

鬱から抜け出すには、この“ストレスを感じやすく幸せを感じにくい”思考を脱する(修正する)必要があるのです。よって当然、克服後には“幸せ感度の高い人生”が待っているのです。
それはつまり、“再発可能性が極めて低い”克服(完治)といえます。

非常に苦しい状況の中にも“ありがたい”と思えることは、きっとあるはずです。それを見つけ出し、可能であれば毎日、書き出してみてください。そして時に振り返り、自分の思考の変化を確認しましょう。

「昨日よりも歩けた」とか「店員さんの笑顔が優しかった」とか「文字が読めた」とか、どんな小さなことでも良いです。

そうしていくうちに、「そもそも当たり前なんてひとつも無かった」ことに気づくはずです。突き詰めれば、世の中は案外、有り難いことで溢れています。

思考の上書きが進むにつれて、徐々に辛い状況から抜け出し、幸せな日々を感じながら、「あのとき鬱になって本当にラッキーだった」と思える日が、あなたにもきっとくると私は思います。

人は余程のことがない限り、自分の思考に向き合うことはありません。変わるということは、簡単なことではないのです。

しかし鬱は強制的にその機会を与えてくれているのですから、実は非常に“有り難いもの”なのかもしれません。

鬱に出会い、自分が変わることで鬱を克服した今の私は、「鬱にありがとう!」って気持ちでいっぱいです。

そして非常に苦しい状況の中にも関わらず、私のブログを読んでくださっているあなたにも、「ありがとう」を伝えたいです^^

克服後の人生は、想像以上に豊かですよ。