こんにちは、さいちょうです。
私は10年ほど前に、重度のうつ病とパニック障害を経験しました。
それらを克服する過程で、大きな力になってくれたのが「読書」です。
詳しくは↓の記事にまとめているよ!
生き苦しさを感じたときは、どうか「本に頼ってほしい」と、心から願っています。
本にそんなパワーがあったのか・・・!
鬱で苦しんでいた頃、「仏教の教え」が救いになることがありました。
今日は『ヤンキーと住職』という、漫画を通じて仏教に触れられる本がとっても良い本だったので紹介します。
答えの保留
本の中で、教えに耳を傾けても理解が追いつかず「質問すら浮かんでこない」と肩を落とす弟子に、先生はこう答えます。
今 わからんっていう自分も大事なんだよ(近藤丸『ヤンキーと住職』より引用)
簡単に逃げるな わからんっていう所にちゃんとおれ(近藤丸『ヤンキーと住職』より引用)
科学が発展した時代を生きる私たちは、何でもすぐに「正解」を求めてしまう。
答えがわからないと、気持ちが悪いんだ・・・
それは現代人が「なんでもわかったような気になっている」からさ。
実際は・・・
この世で明確に解明されていることなんて、ないに等しいんです。
なぜ宇宙が存在し、地球が存在し、人間が存在しているのか?
人は死んだら、どこへ行くのか?
そんな「根本的なこと」さえ・・・
明確には誰も「わかっていない」のですから。
僕たちはみんな、謎だらけの世の中で生きているんだ。
だから・・・
鬱になって、「生きる意味」がわからなくなってもいい。
鬱になって、「人生の価値」がわからなくなってもいい。
鬱になって、「自分の存在意義」がわからなくなってもいい。
今そこで悩み、今そこで考えていること自体に、価値があるのです。
ふりかえってみれば、答えのでない問いに真剣に向き合った時間こそ、かけがえのない心の財産になっている。
「わからない」は、悪いことじゃないんだよ。
悩み、考え、苦しむ今を、大切にする。
仏教は、苦しみが「成長の入り口」であることを教えてくれます。
「お経」や教えの言葉にはいつも、「私は分かった」「俺の理解が絶対だ」という思いを打ち破る働きがあります。(近藤丸『ヤンキーと住職』より引用)
「分かった」という自分の思いや、自分の領解した所に座り込んで、広大な世界に目が向かなくなったときに「精神の老衰が起こる」(近藤丸『ヤンキーと住職』より引用)
このほかにも・・・
- 「諸行無常」
- 「一切皆苦」
- 「卑下慢」
など、仏教が私たちに教えてくれる苦しみを乗り越えるヒントが、幅広く込められた優しい一冊でした。
漫画も面白いんだけど、それ以外のページも深い・・・!
今後の人生を支えてくれる「教え」に、ひょっとしたら出合えるかもしれません。
仏教の教えに触れてみたい人は、ぜひ一度手に取ってみてね!