小さいことが、気にかかる。
「完璧」を追求するあまり、人生において「許せないこと」
100点満点のテストで・・・
80点をとって喜ぶ人がいる一方、98点をとって悔しさを感じ
奇妙な話だと思いませんか?
80点の人が幸せを感じ、98点の人が苦しみを感じている。
100点にこだわって生きると、不幸になるのだ。
では、不幸への引き金となる「完璧へのこだわり」は、
成績の違い?
性格の違い?
実はそのカギは、「幼少期」にある。
この記事を最後まで読むと、完璧の呪縛から解放される。
完璧主義の問題点
そもそも完璧を目指すことは、本当に悪いことなのだろうか?
仕事や芸術活動において、完璧を目指すことに、
断言します。
仕事において、芸術活動において、人間関係において、ひいては人生において・・・
完璧主義は、あなたの「足かせ」になる。
完璧追求思考は、あなたの可能性をどんどん狭め、
奪い去っていくのである。
なぜなら・・・
達成感の喪失
人生を豊かにするために、必要不可欠な要素。
そのひとつに、「達成感」がある。
完璧思考で生きていると、生きるための活力であるこの「達成感」
「完璧でなければならない」
これはつまり言い換えれば、「完璧で当たり前」
そもそも完璧であることを前提として生きていれば、
「できて当たり前」なのですから。
そればかりか、目標が達成できなかった場合には・・・
「自分はなんてダメな人間なんだ」と自らを責め、
達成感を失った人間は・・・
一流大学に受かっても、一流企業に就職しても、
心にポカンと穴が開き、永遠に満たされることはないのである。
「べき思考」の暴走
そもそも、この世に100点満点の「完璧」は、
これは経験上、誰もが知っているはずの現実です。
例えば、仕事において。
新人時代「完璧にこなせた」つもりでいた自分の仕事ぶりを、
実際はこの上なく未熟であったことに、気づかされる。
例えば、好きなものについて。
自分にとって「完璧だ」と思っていた商品も・・・
いずれ飽きてしまい、
人も、モノも、環境も。
すべては絶えず移り変わり続けているのだ。
つまりは・・・
100%不変の完璧など、そもそも「存在しない」んです。
「完璧を追い求める」という行為は、
存在しないのですから、たどり着けるはずがないんです。
「幻想」を目標にしている限り・・・
自分をとりまく状況に対する許容範囲は極端に狭まり、
「こうあるべきなんだ」
そのような幻想からはずれるものを嫌い、憎み、
いずれ移り変わる、束の間の「完璧の錯覚」に翻弄されて、ストレスフルな環境を自ら作り出していく。
「完璧主義」とは・・・
- 達成感の喪失により、自尊心の低下を招き、
生きる活力を奪っていく。 - 「べき思考」の暴走により、
過剰な道徳観念やこだわりを生み出し、 日常にストレスを増幅させていく。
実に危険で、窮屈な生き方だと思いませんか?
「完璧」とは、「幻想」です。
私たちには、その時点における「最善」を重ねていくことしか、そもそも出来ないのである。
完璧主義の原因
しかし、それほどまでに窮屈な生き方をするに至った原因とは、一体何なのか?
その根源は、「幼少期」にある。
強迫観念の正体
「恐怖条件付け」という言葉を、耳にしたことがあるだろうか?
ブザーの音を聞かせた後、ラットに電気ショックを与えます。
それを何度か繰り返すうちに、ラットは経験から学習し、最終的にはブザーの音を聞いただけで怯えて動けなくなるというものだ。
このような学習行動は、ヒトを含む動物が危険を回避するため、
過去には、人間を対象とした実験も行われている。
生後11か月の乳児(アルバート)に対して、
白いネズミを恐れることなく触れようとしたアルバートに、
何度か繰り返すと、アルバートは白いネズミと大きな音に怯えて泣き出すようになった。
さらに繰り返すと、白いネズミを見ただけで泣き出すようになり・
最終的にはうさぎや毛皮のコートなど、
「完璧でなければならない」という強迫観念。
その背景には、「完璧でない状態」を恐れるに値する、過去の経験があるはずなのだ。
この仕組みは完璧主義に限らず、潔癖症や確認行為、
幼少期の体験
とはいえ、「そんな恐怖体験をした覚えはない」
実はこの「恐怖体験」とは、記憶にも残らないような、
例えば・・・
- 人前で転んで笑われた経験
- 誰かの失敗に対する批判を耳にした経験
- 100点をとって褒められた経験
- 自分の欠点を指摘された経験
このように、
今、あなたが完璧主義で苦しんでいる根本的な原因は・・・
幼少期のささいな経験の、積み重ねにある。
それらひとつひとつを、思い出す必要はありません。
しかしながら、このような仕組みを理解することが、何よりも大切なのである。
完璧主義からの脱却方法
では、いかにして身についた恐怖反応を払拭し、
①シンプルに考える
まずはじめに必要なのは、この問題を複雑に考えないことである。
幼少期の何気ない経験の積み重ねから、
「ただ、それだけのこと」なのだ。
自分の性格の問題だとか、育った家庭環境の問題だとか、
ごちゃごちゃと難しく、ややこしく考える必要性は、
ただ単に、過去のささいな経験から、
その事実を憂う必要も、否定する必要も、ない。
もともと人間は、危険から身を守るため「
その学習能力は、
幼少期、自分に備わった能力によって、よりよく生きるために、完璧を追求する癖がついた。
それ以上でも、以下でもない。
ただ、それだけ。
まずは現状をありのままに、シンプルにとらえるところからはじめよう。
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②価値観の上書き
現状をありのままに見つめた上で・・・
「完璧でなければならない」
幼少期の経験をもとに、今日までそう思って生きてきたことには、胸を張っていいんです。
しかしながら・・・
あなたの経験値は、すでにアップデートされているはずなのだ。
大人になるにつれて、さらなる経験を重ねていくうちに・・・
「完璧なんてそもそも存在しなかった」という事実に、
だからこそ、完璧にこだわることに、虚しさや疲れを感じるようになってきている。
そろそろ、「塗り替え時」かもしれません。
幼少期の経験から手に入れた「幻想」を、新たに得た経験と知識から得た「現実」で、上書きする必要があるのです。
あなたはもう、気づいているはず。
「失敗のない人生」など幻想であり、人間にとって不完全な状態こそがデフォルトであったという事実を、
完璧主義に至った仕組みを冷静に理解し、
このプロセスこそが、「不完全」を許容するための第一歩であり、「
さいごに
「失敗のない人生」を叶える唯一の方法は、一切のチャレンジを諦めるということ。
究極的には・・・
一歩も外に出ず、誰にも会わず、何も言わず、何も選択しないということ。
そんな人生を、あなたは望むのだろうか?
そもそも人は、完璧な生き物ではありません。
傲慢な考えを捨てて・・・
人生について少しだけ、謙虚になろう。
人間は失敗して当たり前、完璧に出来なくて当たり前なんです。
不完全な状態こそが人間にとっての「デフォルト」であり、不完全だからこそ互いに支え合い、
不完全だからこそ、愛らしい。
少しいびつだったり、少しあわてんぼうだったり、少し不器用だったり・・・
このような、一見「欠点」のようにも見える完璧から遠ざかる個性こそが、あなたの「魅力」なんです。
完璧から離れることを、恐れないでください。
それはすなわち・・・
あなただけの「魅力」を育むことに、必ずつながっているのである。