なぜ?自殺の連鎖…芸能人の自殺報道による「ウェルテル効果」を断ち切るために

5分後のアナタをちょっぴり変えたい。さいちょうです。

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相次ぐ著名人の自殺─。

 

一人の人間が「自ら命を絶った」という事実が、周囲に残された人間に、大きな心理的ショックを与えることはいうまでもない。

 

有名人であれば、その影響が及ぶ範囲の広さは、計り知れないものがある。

 

それゆえに、芸能人の自殺に関する記事の執筆は、悲劇拡散の波動となりかねない、リスクある行為だと考えています。

 

しかし、情報から逃れられない現代を生きている以上・・・

 

私たちは今、センセーショナルな報道に対する冷静かつ正しい受け止め方を、ひとりひとりが身につける必要がある─。

 

情報がもたらす心理的影響から、自分の命。そして、大切な人の命を守り抜くために。

 

  • ウェルテル効果
  • ペルソナ

 

人間が持つ2つの心理を正しく理解することで、混乱の社会から望まない選択を、ひとつでも防ぎたい─。

 

 

自殺は伝染する

 

精神的に苦しいとき、人は、自殺者と自分自身を重ねてしまう─。

 

ウェルテル効果とは?

 

ウェルテル効果とは、アメリカの社会学者ディヴィット・フィリップスが提唱した、

自殺報道が自殺率に及ぼす影響のこと─。

 

ウェルテル効果は、以下のような特徴をもっている。

 

  • 著名人の自死が報道されると、その後の自殺率は上昇する。
  • 報道の大きさに比例して、自殺率の上昇は高まる。
  • 報道された自死の“ 方法 ”まで模倣するケースが多く見られる。

 

もしこれが本当なら、実に恐ろしい話だと思いませんか?

 

疑いたくもなる話だが・・・

 

残念ながらこのウェルテル効果、疑う余地もないほどに、世界中のデータで証明されてしまっているのです。 

(※ウェルテル効果の助長を防ぐため、当ブログでは具体例の提示は避けます。)

 

スマホの普及に伴って・・・

 

いつでもどこでも、常にセンセーショナルな報道を浴び続けている私たち─。 

 

情報の受け止め方を、見直す必要があるのではないだろうか?

 

1)飛び交う憶測の罠

 

著名人の死に、メディアはまず、理由を与えようとする─。

 

あんなに美しい人が、なぜ?

あんなに優秀な人が、なぜ?

すべてを手に入れたのに、なぜ?

 

著名人の自死を報道する記事には、上記のようなコメントが、非常に多く寄せられる傾向にある。

 

すると当然メディアは、そんな閲覧者のニーズを満たすため、様々な憶測を報道しはじめる─。

 

彼は真面目な人で、自分を追い込みすぎて亡くなったんだ・・・

彼女は家庭のトラブルで、疲弊していたらしい・・・

 

そんなふうに、単なる憶測がいつの間にか真実であるかのように、社会全体へと、広まっていくのです─。

 

これが、恐ろしい罠なんです。

 

報道された様々な憶測と同じような理由で「生きることが辛い」状況にある人は・・・

 

著名人が死を選択したとされる理由に共感し、自らを、同一視してしまうのです。

 

あんな有名な人でも、僕と同じような理由で苦しみ死を選ぶんだ・・・

僕の悩み、やっぱり死ぬほど深刻なんだ・・・

 

憶測に過ぎない自殺の理由に自分を重ね・・・

 

僕も楽になりたい。

今なら死んでも、誰にも責められないかな?

 

まるでチャンスを掴んだかのように、後を追う選択をしてしまうのです─。

 

忘れないでください。

 

胸に秘められた感情的な部分の話は、決して妄想の範疇を出ることのない、根拠なき後付けに過ぎないのです。

 

そもそも「〇〇のせいで死を選んだ」などと、たった数百字の記事で明確に説明できるほど・・・

 

人が命を絶つに至る理由は、単純明快なものなのでしょうか?

 

人間の感情は、100%主観的なものです。

 

命を絶った本人が感じていた辛さは、命を絶った本人にしか分かり得ないものであり・・・

 

あなたが感じている辛さは、あなたにしか分かり得ないものなのです。 

 

憶測の罠にはまり、自殺者と自分自身を、決して重ねてはならないのである。

 

2)自殺者の美化

 

憶測による同一視とともに危険なのが、自殺の美化である─。

 

生前、私たちにたくさんの笑顔や感動を届けてくれた有名人が亡くなれば・・・

 

自死をするまで苦しんだ彼らを憐れむことはあっても、非難することはない

 

そもそも日本の文化として、「亡くなった人を批判すべきではない」という、暗黙の了解のようなものがある。

 

自死をした芸能人を責める権利は、誰にもない─。

 

しかしながら・・・

 

亡くなった途端、生前の功績がたたえられ・・・

 

いかに素晴らしい人であったかを繰り返し強調する報道は、多くの危険を孕んでいる─。

 

死んでも悪く言われない。

自殺もひとつの“ 選択肢 ”なんだ。

 

自殺した芸能人のストーリーが美化されていくことで・・・

 

自殺に対するハードルが、著しく下がってしまうのです。

 

メディアは人々が、「見たがるもの」を提供します。

 

哀れで悲しい、まるで一本のドラマのような儚い人生─

 

遠くから見れば、どこか美しく見えるかもしれません。

 

でもそれは、近くで見れば・・・

 

紛れもない、悲劇なのです。

 

表面だけが綺麗にデコレーションされたフィクションに、どうか、騙されないでください。

 

その奥に存在する、深く暗すぎる闇には、誰も触れようとはしないのだから─。

 

自殺は決して、美化されるべきものではないのである。

 

ペルソナの危険性

 

上述してきた通り、一人の人間が死を決断する理由は、他者には分かり得ない領域にあるもの─。

 

しかし、その憶測の中からひとつ、学び取れるものがあるとすれば・・・

 

それは、ペルソナの危険性である。

 

ペルソナとは?

 

ペルソナとは、古典劇における「仮面」のことである。

 

心理学用語としては社会的人格を意味し、私たちが無意識に演じている、外的側面の存在を指摘するものである。

 

具体的には・・・

 

男なのに、泣くなんて情けない・・・

父親なのに、嘘をついてしまうなんて・・・

タレントだから、いつも笑顔でいなくては・・・

 

こんなふうに、人間は自分自身を形容する何者かを常に演じ、そのイメージにそぐわない行動を拒絶する─。

 

特に芸能人はイメージメイキングが伴う人気商売である以上、常に人目にさらされ、ペルソナから逃れられる時間がありません。

 

自分が抱えているペルソナに対する自覚がないと、人は自分でも気づかないうちに、精神的に追い詰められていく─。

 

何が自分を縛るのか?

 

そこをしっかりと理解した上で、自分の意思で行動を選択している意識を持つことが、必要不可欠なのである。

 

そして、このペルソナは・・・

 

自分自身だけでなく、他者にも適応されている─

 

加害者にならないために

 

インターネットの普及により、芸能人に対する様々な意見が、本人の耳まで届きやすい環境になったことはいうまでもない。

 

タレントに対する誹謗中傷は、いまや、社会問題と化している。

 

人は何故、会ったこともない芸能人を批判することができるのか?

 

その根底にあるのが、ペルソナなのだ─。

 

芸能人なのに、かわいくない。

タレントなのに、愛想が悪い。

芸能人なのに、性格が悪そう。

 

このように、世間が芸能人に抱いている高すぎる理想=ペルソナが、批判のものさしとなっているのである。

 

その結果、厳しい基準を与えられた当人は、どんどん人生に制約が増えていき、追い詰められていくのです。

 

同じ人間なのに。

 

有名な人をはかるものさしだけは、まるで別世界の生き物を見つめるかのように・・・

 

厳しくなってはいませんか?

 

あなたを縛るペルソナを手放すとともに、他人をはかるペルソナも同様に、手放しましょう

 

画面の向こうにいるその人は、あなたと何ら変わらない・・・

 

弱くてもろい、一人の人間なのである─。

 

さいごに

 

人は決して、一人で生きていくことはできません。

 

互いに支え合い、生きていくためには・・・

 

  • ウェルテル効果による自殺報道の危険性を正しく理解すること。
  • ペルソナによる制約の解除を、自分にも他者にも認めてあげること。

 

武器をおろし、手を取り合う勇気が、必要とされているのではないでしょうか?

 

すべては繋がっています。

 

僕一人ぐらい、いなくなったところで・・・

 

問題、大アリなのです。

 

まだ生きれたはずの、一人の人間がこの世からいなくなってしまうということは・・・

 

残されたたくさんの人の人生に、めぐりめぐって地球全体の行く末にまでも・・・

 

多大な影響を及ぼす、超・超・大問題なのだ。

 

ちっぽけで役に立たない自分。世の中に必要とされてない自分。

 

そんな錯覚に、惑わされるな

 

私たちひとりひとり、み~んな弱くてちっぽけだからこそ・・・

 

ほら手を取り合って、一緒に明日へと進んでいこう─。