会話に必要なのは「共感」ではない

人と話すと疲れてしまう…

 

なかなか人と打ち解けることができない…

 

そんな方は会話において、「共感すること」こそ、大切だと考えているのではないでしょうか。

 

相手の発言を否定すれば、気まずい空気になるのでは…そんな不安を、感じているのかもしれません。

 

だから相手の言葉を、反射的に肯定してしまう。

 

「そうですね!」

「たしかに!」という具合に…

 

しかし、これには大きな問題があります。

 

“反射的な共感”とは、相手が発した言葉を“自分の頭でスキャンせず”、とりあえず、相手の意見に合わせている状態です。

 

つまりは、よくよく考えれば共感できないことでも、「相手の意見に乗っかった状態でスタートしてしまっている」わけです。

 

ですから当然、“共感を演じ続ける”ことになり、会話を楽しめないばかりか、疲れを感じてしまうのです。

 

このような「全面的な共感」は、相手にとっても案外、“面白味のないもの”です。

 

なぜなら自分の発言がすべて肯定されると、相手はあなたに、意見を尋ねることができません。

 

つまりは、得られるものがないのです。

 

これでは会話というより、“独白”です。

 

では、会話において「共感」よりも大切なこととは、一体何なのでしょうか。

 

それは、「傾聴」です。

 

相手の言葉に“同意すること”ではなく、“耳を傾けること”こそ、真に大切なことなのです。

 

人に「共感」してもらうことは、確かに気持ちが良いもの。

 

しかし「傾聴」してもらうことは、それ以上に心地が良いものなのです。

 

人は“たとえ共感してもらえなくても”、“耳を傾けてもらうこと”に、より喜びを感じるのです。

 

「そうですね」よりも「そうなんだ」が、ずっと嬉しいのです。

 

“反射的な共感”のバリアをはずし、まずは相手の言葉を、しっかりと受け取める。

 

そしてその言葉を、“あなたの頭”でスキャンし、“あなたの言葉”を述べる。

 

それが「会話」なのです。

 

会話とは、きちんと向き合えば、“互いの人生の交流”です。

 

相手の言葉には“相手の人生”が詰まっており、その一言一言は、“相手にしか出せない”、非常に価値のあるものです。

 

あなたの言葉も同じです。

 

しっかりと自分の頭を通して導き出したあなたの言葉は、“あなたの人生が詰まった”、“あなたにしか出せない”、かけがえのないものです。

 

それは“表面上の共感”なんかより、ずっとずっと価値あるものなのです。

 

各々が人生経験から生み出した思考や知恵が交差する“会話”。

 

“共感”ではなく“傾聴”を意識することで、会話は驚くほど、味わい深いものになると思うのです。