だらだらと愚痴や不満を聞かされると、こちらまで気分が滅入ってしまう…
身近な人の愚痴に失望し、疲れてしまう…
他人の“愚痴”や“不平不満”に悩まされている方は、少なくないはずです。
一方で、愚痴を聞かされても平気であったり、一緒になって愚痴を楽しめてしまう人も存在します。
あなたと彼らとの“決定的な違い”は、一体何なのでしょうか。
それは、「自分自身に愚痴を許しているかどうか」です。
つまりは、普段から“愚痴らないように心がけている人”は、他人の愚痴に腹が立つのです。
これは無意識のうちに、「自分は言わないようにしてるのに…」という、“不平等感”が生じるためです。
一方で、愚痴を聞いても平気な人は、自分自身にも愚痴ることを許しているわけです。
だから当然、他人の愚痴にもストレスを感じません。
では、あなたも“愚痴る人”になれば、ストレスから解放されるのでしょうか。
究極的には、その通りだと思います。
しかし…
わざわざあなたが相手に合わせて“自分を偽る”必要までは、ないと思うのです。
そもそも愚痴の目的とは、周りを批判することにより、遠回しに「自分は正しい」とアピールをすること。
愚痴は最高の“自己肯定”、そして“現状への言い訳”になるのです。
つまりそこには、問題解決の意思が、一切ありません。
失礼ながらまったくもって、“生産性がない行為”なわけです。
一方で、愚痴を言わないように心がけている人は、“未来”を見ています。
問題解決の意思があり、生産性のない愚痴に時間を費やす必要性を、感じていないわけです。
ですから無理して愚痴る人になるのは、非常にもったいないと思うのです。
それでは、他人の愚痴から解放されるには、一体どうすればよいのでしょうか。
その方法は、
“決して同調しない”ことです。
相手の愚痴にイライラしてしまう人は案外、無意識に相手の調子に“同調してしまっている”場合が、非常に多いのです。
本音では愚痴にうんざりしてるのに、なんだかんだ“気まずい空気”になるのを恐れ、
適当に相槌をうったり、愛想笑いして見せたりしていませんか?
もしくは、
愚痴る相手にイライラを感じ、相手を遠回しに批判したりして、相手と同じ土俵にあがってしまってはいませんか?
この“ブレ”こそが、ストレスの原因なのです。
人には、“愚痴る権利”があります。
あなたがいくら嫌だと感じても、“愚痴ること自体”は、個々の選択であり、自由なのです。
法に触れない限り、相手の発言の権利を奪うことなど、誰にもできません。
しかし、これは言い換えると…
あなたの発言もまた、“自由”なのです。
愚痴をこぼしている相手のテンションに、飲み込まれないでください。
ブレずに、毅然とした態度で、
圧倒的にポジティブな視点から感想を述べるのも自由。
相手の問題点を冷静に指摘し、話題を変えてしまうのも自由。
問題解決の意思がない相手に対して、解決策を提案し続けるのも自由。
目も合わせず、返事すらしないことだって、自由なのです。
気まずくなることを、恐れないでください。
あなたは「相手の感情のゴミ箱ではない」のです。
決して引きずられず、決してブレないこと。
これができると、“他者と自分との線引き”が明確になり、愚痴を聞き流せるようになるばかりか、
相手は次第に、あなたに“愚痴らなくなる”のです。
相手に同調し、相手にとって、“愚痴りやすい人”であることをやめましょう。
相手があなたの前で、愚痴ることが「恥ずかしい」と感じるような、芯の強さを見せるのです。
どうか、忘れないでください。
愚痴ることは“自由”です。ときにこぼしても、罪ではありません。
愚痴る人、愚痴らない人、どちらが正しいというわけでもありません。
ただし、あなたの心に逆らい、相手に同調して自分自身を傷つけることだけは、やめにしませんか?
相手にとって“愚痴りやすい人”ではなく、“背筋が伸びる人”を目指し、
相手とともに“成長し合える”関係性を築けたら、それはとても素晴らしいことだと思うのです。