思考停止の原因はデジタル化?情報に流されず自分の人生を「ちゃんと」生きていくために。

こんにちは、さいちょうです。

 

デジタル化が進む現代。

 

ほんの少しでも時間が空けば、無意識で体がスマホを開き、迷うことなく情報の海へと身を投げる私たち。

 

 

24時間365日、休むことなく「情報のシャワー」を浴び続けている。

 

便利だし、退屈しないし、最高じゃん!

 

便利の代償は、想像以上に大きなものなんだ。

 

今、情報の過剰摂取が、「現代人のゾンビ化」を進めています。

 

 

ゾ・・・ゾンビ!?

 

君もすでに、「ゾンビ」かもしれないよ。

 

この記事を最後まで読むと、過剰な情報社会から人生を守り抜く方法がわかります。

自己の消失


ひとたびネットを開けば、無数の「意見」や「体験談」、「情報」が手に入る。

 

 

この商品、気になってたけど、あんまりよくないんだ・・・

 

口コミを見れば、自分で商品を使う前に、使った気持ちになっていく。

 

この職業、興味があったけど、そんなに大変なんだ・・・

 

体験談を見れば、自分で体験する前に、経験した気持ちになっていく。

 

こういう振る舞いは嫌われちゃうんだ・・・気をつけよう・・・

 

意見を見れば、自分で確認する前に、他人の気持ちがわかったつもりになっていく。

 

 

情報を摂取すればするほど・・・

 

自ら体験する必要も、自らコミュニケーションをとる必要も、薄れていくのです。

 

無駄がはぶけて、いいんじゃないの?

 

私たちは、わかった「つもり」になっているだけなんだ。

 

どうか、忘れないでください。

 

同じ物を食べても「おいしい」と感じる人、「まずい」と感じる人がいる。

 

 

画面の向こう側にいる「誰か」は、「あなた自身ではない」のです。

 

にもかかわらず・・・

 

受動的に摂取した情報の集合体=自分自身の意見であるかのような錯覚に、私たちはハマっていく。

 

 

  • 自分の頭で考えること
  • 自分の身で体験すること
  • 自分の目で確かめること

 

すべての必要性が、薄れてしまったがゆえに・・・

 

この職業は大変だから、やめておこう。

 

自分の体では、
まだ何も体験できていないのに。

 

この政治家は最悪だ。間違っている。

 

自分の頭では、
まだ何も考えられていないのに。

 

 

人生そのものである「思考」と「体験」の機会が、奪われているのです。

 

これでは息をしていても、生きていないのと同じなんだ。

人生への参加


あなたは「ちゃんと」生きていますか?

 

下の図は、総務省が発表した衆議院総選挙における年代別「投票率」のグラフです。

 

 

世論を見れば、国民の大多数が現行の政治に不安や疑問をもっている。

 

にもかかわらず、

 

実際の投票率は右肩下がりで、30代までは選挙に行く人の方が少数派

 

選挙なんて、いつやってるのかも知らない・・・

 

全体で見ても、国民の2人に1人は選挙に行っていないのが実状です。

 

 

不安を感じても、選挙には参加しない。

 

不思議なことだと思わないかい?


政治が「私たちの未来を左右する」ことは、まぎれもない事実です。

 

私たちの日常が、

 

おだやかな日々になるのか?

戦場になるのか?

 

極端な話、それを決めているのが「政治」です。

 

 

「関係ない」と思える人なんて、1人もいないはずなんだ。

 

国民一人一人に平等に与えられた1票を行使することで、政治(=未来)を動かすことができる。

 

言いかえれば・・・

 

1票を行使することでしか、政治(未来)を動かすことはできない。

 

 

頭で考えれば、わかること。

 

なのになぜ、私たちは唯一与えられた権利を簡単に捨ててしまうのか?

 

その答えは・・・

 

「自分の頭で考える」ということが、非常に難しい社会を生きているからなのです。

 

 

情報化により、私たちの目や耳に入る情報は膨大な量に増えました。

 

一方で「自分の頭で考える時間」は、減っているどころか、なくなりつつある

 

受動的な情報摂取が「習慣化」すればするほど・・・

 

 

なぜ選挙に行くべきなのか?

どんな国で生きたいのか?

誰に投票するべきなのか?

 

考えてみたこともなかった・・・!

 

自分の頭で考える「時間」も「意欲」も「発想」すらも、失っていくのです。

 

 

いわいる「思考停止」の状態で、生きていってしまうんだ。

 

選挙はあくまで「例え」であって、

 

お伝えしたいのは「選挙に必ず行きましょう」という話ではありません。

 

「思考停止」は・・・

 

あなたから選挙権を奪うように、あなたの人生までも奪ってしまうのです。

 

 

考える前に、調べちゃえばいいのさ。

 

情報によって制御される「思考」。

 

この仕事は、相当きついらしい。

 

情報によって制御される「体験」。

 

これやったら、嫌われるらしい・・・

 

情報によって制御される「言動」。

 

 

たしかに生きているのに・・・

 

考えられない。

行動できない。

表現できない。

 

 

情報に乗っ取られた「空っぽの人」が、増え続けてしまうことなのです。

 

たった一度の投票権と同じように、たった一度の人生を無駄にしてはいないだろうか?

脳の性質


「自分の頭で考えること」は、非常に多くのカロリーを消耗します。

 

 

私たちの祖先は、食糧にありつくのが困難な状況で進化を重ねてきました。

 

脳はカロリーの消費をおさえるために、楽な方を選ぶようにできている。

 

情報が簡単に手に入れば、自ら考えることをやめてしまう。

 

これは脳の性質であって、君が悪いわけではないんだよ。

 

しかし、無数の飲食店が立ち並び、食糧にありつくことが容易となった現代。

 

 

私たちには「考える時間」も「考えるエネルギー」も、有り余っている。

 

自分らしさが、わからない・・・

 

自分の感情が、わからない・・・

 

自分の存在意義が、わからない・・・

 

世の中が、便利になったがゆえに・・・

 

 

「思考停止」で幸せになることは、もうこれ以上できないのです。

 

私たちは「ちゃんと生きていく」必要に迫られているんだ。

情報の調理


あなたの意見は、本当にあなたのものですか?

 

 

たくさんの情報は、自分自身の考えを確立するための「材料」になる。

 

しかし、調理する過程がなければ、あなた自身のものにはなりません。

 

目に入れ、耳に入れているだけではダメなんだ。

 

情報は「あくまで参考」に、自分自身の思考を確立していくために最適な方法。

 

それは・・・

 

 

「紙に書くこと」です。

 

何を書いたって、いいんだよ。

 

見聞きしたもの。感じたこと。考えたこと。頭に浮かんだもの。

 

むちゃくちゃな文章でいい。

 

誰かに見せるためでなく「あなただけのために」、書いてみてください。

 

スマホのメモとか、SNSの書き込みじゃダメなの・・・?

 

それだと「早すぎてしまう」んだ。

 

以下は、ジュリア・キャメロン氏の著書からの引用です。

 

手書きならゆっくりだから、自分の考えを正確に記録できる。時速六〇キロで運転するようなもので、「おい、あそこに出口があるぞ。見ろ、コンビニがある」と言う余裕がある。

 

一方、コンピューターは猛烈な早さで思考をページに打ち込む。時速一二〇キロでドライブするようなものだ。「あれは出口だったかな? あれはコンビニ、それともガソリンスタンド?」と私たちは判断に迷う。

 

人間の知覚は束の間であり、見たり、感じたりするものにそれほどの確信を持てない。

 

(中略)

 

コンピューターのほうが早く書けるかもしれないが、早さを追い求めているわけではない。手で書くのは、自分が考えていることや感じていることと自分自身を正確につなげるためである。

 

(ジュリア・キャメロン『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』より引用)

 

私たちの脳(=思考)は、デジタル機器のスピードについていけていないのです。

 

 

だから、ペンをもつ必要があるんだ。

 

スマホは私たちの脳に絶えず新しい刺激を与えてくれる、魅力的なツールです。

 

そんなスマホを閉じてまで、「ペンをとる暇なんてない」と感じてしまうのも無理はありません。

 

それでも、あなたの人生のために。

 

ほんの少しでもいい。毎日じゃなくてもいい。思い悩んだときだけでもいい。

 

騙されたと思って、書いてみてください。

 

 

一冊のノートが、あなたの人生を動かすのです。

 

最後まで耳を傾けてくれて、どうもありとう!君だけのためにノートを用意してあげてね。約束だよ。

 

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